竹之下正俊 著
定価 : 本体2600円(税別)総294頁
食事の時間でもないのに、老僧はなぜ鉢を手にかかげ堂に下ってきたか。
禅話好きの志賀直哉が感泣した無門関「徳山托鉢」章は、
徳山禅師の最晩年におきた弟子の雪峰と、その兄弟子の巌頭をも巻き込んだ
叢林における昼飯前の騒動が主たるテーマ。
1章 徳山托鉢をめぐって *徳山禅師が下ったのは「法堂」か「僧堂」か、それが問題だ?
一 托鉢とは何か
二 鉢を托げて堂に下る
三 「上堂」とは
四 三黙堂――浴室・僧堂・西浄
五 一日、飯遅れる
2章 無語・低頭・帰方丈 *禅師は食器を手に説法場に向かわれた
徳山、方丈に回る
一 無門関に無い四文字、そして休去
その㊀ 無 語
その㊁ 低 頭
その㊂ 便ち休し去る――徳山禅師の為人(接化)について
二 方丈の由来
三 牢関とは何か
四 もうひとつの帰方丈
五 門より入るものは家珍にあらず
六 雪峰義存の〝さとり〟
3章 徳山托鉢の本姿 *三禅匠による〝徳山托鉢〟攷
徳山托鉢の真意
一 歩歩荊棘を生ず――大燈国師
㈠【大燈国師の語録より】
二 不努力――万松老人の見解㊀
㈡【万松老人の語録より】
三 慈悲心やまず――万松老人の見解㊁
四 老老大大遭人点検――蘭溪禅師の指摘
㈢【蘭渓禅師の語録より】
五 徳山托鉢の本姿
4章 徳山父子の別れ *巌頭全豁のさとり、そして師弟の別離
徳 山 父 子
一 禅僧とその弟子
二 徳山父子の別れ
三 悟上の衲僧
著者略歴:1947年 鹿児島県鹿屋市(旧肝属郡)吾平町生まる。
鹿屋高校卒業後、理系の大学に一時在籍。花園大学仏教学科を卒業後、春秋社入社。同社編集部勤務を経て独立。
編集プロダクションを営み、1982年(昭和57)、株式会社ノンブル社(図書出版)を設立して現在に至る。主に人文系を分野とする
著 書 『百六十七文字の公案―徳山宣鑑とふたりの学人』東西霊性文庫11






