ノート

【日本図書館協会選定図書】

タイトル:空海ノート

著  者:長澤弘隆(真言宗智山派満福寺住職・密教21フォーラム事務局長)
装丁:美柑和俊
本体価格4800円+税
四六判/上製/カバー装 
総頁:460ページ

刊行年:2009.01
ISBN 978-4-90470-34-4
口絵:カラー写真  52

「まえがき」より

空海は異能の人である。空海の密教は、多様にして多彩、多重にして多層、高速にして大容量、互換性に富んだ実にデジタルな言語哲学である。


空海や空海の密教を読み解くには、少なくとも日本の古代史、古代宗教史、仏教史、言語史、中国の仏教諸宗、儒家の思想、道家の思想(老荘)、道教・道術・神仙思想、史書、五明の学、漢詩文、書芸、インドの仏教史、大乗仏教思想史、ヒンドゥイズム、インド哲学、梵字・悉曇(サンスクリット)、アジアの古代史、さらに古今東西世界の宗教・哲学・思想・科学に通じ、そして密教思想を解し実際に密教の行法・儀礼を体験していることが望ましい。


しかし空海の場合、空海密教そのものがそうであるように、「多」は即ち「一」、「一」は即ち「多」。空海の多才・多面は「コトバ」すなわち「言語」の異能という一才・一面に収斂する。


空海は言語哲学の人であった。言語哲学こそが空海密教の理趣である。

空海の言語哲学の基盤は梵字・悉曇つまりサンスクリットの素養にある。空海はおそらく、インドの古典言語であるサンスクリットを本格的に習得したはじめての日本人であったろう。空海は長安留学中インド僧の般若三蔵や牟尼室利三蔵から直接生のサンスクリットを教わった。そしてその言語の力を「法仏(法身大日如来)のコトバ」(「真言」)につなげた。

それは西洋神秘思想がいう「神のコトバ」の地平であり、「コトバからすべての存在が生ずる」言語哲学の命題でもある。井筒俊彦はそこに着目し、空海の「法身説法」すなわち「果分可説」を広く東洋や世界の言語思想に共鳴する主張だと評価した。


空海は、異国の思想や宗教に通じ、異国の言語を解し、異国の文芸文化を身につけ、世界のレベルで「日本の方法」を創案したマエストロである。そこにやっと現代を代表する知性から視線と評価が集まるようになった。空海はもっと、各界各層の人にその真意・真相が理解されるべきである。空海は今、「日本の方法」の「マザー」あるいはオペレーションソフト(OS)としてよみがえるべき時にある。


この本は、異能の人空海が、いつどこで何を、学び体験し身につけ、直観し思索し構想し、そして創案し講じ実践したか、さらに究極空海密教として創出された言語哲学とは何か、その真相にリアルに迫ろうとした「空海ノート」である。研究者や文筆家が書かない空海もそこにいる。真言僧でなければわからないあるいは言えない空海もいる。少しラジカルな空海の軌跡でもある。本書が、空海を深く広くそしてまともに知りたい方の座右に置かれ、「よみがえる空海」のためにいくばくかお役に立つとすれば望外の幸せである。

なお、空海が書き遺したとされる秀麗な文章の原文をできるだけ多く、時折全文を引用した。空海のあふれる知性や教養に直接ふれていただきたいとの思いからである。漢文の書き下しで難解なものであるがよろしくご判読をお願いしたい。現代文の読み下しや要約を用意しようと思ったが紙数に限りがあるのでそれは割愛した。


目 次


まえがき


一 「貴物(とふともの)」真魚のルーツ

二 「讃岐国多度郡屏風浦」の水と豊穣

三 「神の御子」を受胎した母神伝説

四 玉依姫伝説と空海誕生地異説

五 神童の霊威的気質

六 漢籍の素読暗諳スキルワーク

七 平城京の寄宿先「佐伯院」

八 大学寮への受験勉強(漢籍訓詁学)

九 大学寮の基幹学科「明経科」

十 仏法の衝撃と中国的価値世界への決別

十一 木食草衣の乞食行者

十二 命がけの雑密修験

十三 辺路(へち、へぢ)と海上他界と神仏習合と

十四 虚空蔵求聞持法の練磨と捨身

十五 「辺路(へんろ)」真魚の不殺生伝説

十六 明星口ニ入リ虚空蔵光明照シ来リ

十七 四国随一の霊山での修験苦行

十八 「沙弥」教海の仏教教理への昂ぶり

十九 律僧鑑真の決死の「四分律」とアジアを知る

二十 雑密修験から大乗瑜伽行(唯識)思想へ

二十一 朝廷貴族の雄藤原氏一門との親和

二十二 華厳を修め『三教指帰』を著す

二十三 密教仏と『大日経』と梵字・悉曇との出合い

二十四 『大日経』の夢告

二十五 具足戒を受け「官僧」空海へ

二十六 第十六次遣唐使船「よつのふね」に乗る

二十七 「大輪田泊」から「牛窓」「室ノ津」

二十八 「鞆ノ浦」そして「風早ノ浦」

二十九 遣唐使船建造修理の島「長門ノ津」

三 十 潮流逆巻く海峡「早鞆ノ瀬戸」

三十一 西の外交交易の玄関「那ノ津」に着く

三十二 大宰府「鴻臚館」

三十三 大宰府政庁で聞く東シナ海の危険

三十四 既ニ本涯ヲ辞ス

三十五 難破船で唐土「赤岸鎮」に漂着

三十六 大使福州ノ観察使ニ与フル為ノ書

三十七 「仙霞嶺」越えの古道

三十八 「京杭大運河」の水運

三十九 長い船旅から険しい陸路へ

四 十 延暦二十三年十二月二十三日、長安城に入る

四十一 般若三蔵の華厳とサンスクリット指南

四十二 恵果和尚から正統密教の師位を受ける

四十三 密教伝法の祖師善無畏・金剛智の聖蹟参拝>

四十四 禅を知って禅をとらず

四十五 請来品のなかの『金剛頂経』系経軌の多さ

四十六 虚シク往ヒテ實チテ帰ル

四十七 独自の「顕教」「密教」構想

四十八 声心雲水倶ニ了々タリ

四十九 平安京における密教弘法

五 十 嵯峨天皇の政と文芸のサポート

五十一 国家のために東大寺に潅頂道場を開く

五十二 早良親王の怨霊(御霊)鎮め

五十三 東大寺二月堂「お水取り」(修二会)の密教化

五十四 密教様式による初の堂宇設計

五十五 良きライバル最澄の法城

五十六 入唐留学の主な動機はサンスクリットの修学

五十七 「五筆和尚」、当意即妙の書法

五十八 丹生一族の神と高野山入山の神託

五十九 高野山造営の政所と母の菩提と弥勒慈尊

六 十 聖俗往還の密教イニシエーション

六十一 古代宗教の聖域に造営する密教道場

六十二 空海密教のグローバリゼーション

六十三 故郷「真野」の田を潤す満濃池のアーチ式ダム

六十四 国家鎮護の立体曼荼羅

六十五 「請雨法」による密教祈祷

六十六 潅漑用水池堰堤に残る雑体書法

六十七 東寺の稲荷神と秦氏の稲荷山と御霊会と

六十八 行基の残した港湾の水利ディベロップメント

六十九 日本初の庶民子弟のための私立学校

七 十 不滅の滅

終 章 「世界遺産」空海

あとがき